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神田の唄

ブログで生計を立てるために頑張る下剋上ブログ

僕は死ぬのが恐い

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死ぬことが恐いからこそ、死について考えてしまう

死ぬのは誰だって恐い。それは世界に存在する宗教や神話が死後の世界にフォーカスされていることからもわかる。

 キリスト教の天国と地獄、仏教の輪廻転生、北欧神話のヴァルハラ。ぼくたちが普段耳にする宗教、神話の話は「産まれてから生きる」ことについてより「死んだ後の世界」についての方が多い。


宗教の定義には諸説あるけど、宗教ができる理由は「恐れ」が前提にある。で、人が最も恐れを抱くのが「死」。

だから、その恐怖を和らげるために宗教、神話が生まれた。あらゆる時代のあらゆる国の人も同じように死ぬことが恐かったんだと思います。

そして、多くの人がそうであるように、ぼくも例に漏れず死ぬのが恐いと感じています。たぶん、人以上に死ぬことに対して恐れています。

だから、無駄だとわかっているのに、死について理解しようと考えを巡らせるし、死についての記事を書くことがあります。

www.kandareiji.com

 

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「0と1の"はざま"で生きる人。1と100の"あいだ"で生きる人。」

 

では記事のなかで次のように書きました。

0と1の"はざま"で生きる人はイマしか見えていないために、計画を立てられない。刹那的な生き方と言ったけど、要は暗闇のなかでもがいているようなものです。

 
ぼく自身は0と1の"はざま"で生きている人間です。今は1と100の"あいだ"で生きるようにシフトしているけどね。

上記の記事を書いたのは、ぼくと同じようにイマだけみてもがき苦しんでいる人がいるなら、同じように1と100の"あいだ"で生きるようにしてほしいことを伝えたかったからです。

今回の記事では、前回の補足的な内容として、そもそも「なぜ?」刹那的な生き方である0と1の"はざま"に入ってしまうのかを書いています。プロセスを知ることによって対策を立てたり、考えを変える一助にしてほしいというのが理由です。

刹那的な生き方に陥ってしまうプロセスは、人によって変わるだろうから画一的な物言いはできないけどね。

ただ、ぼくの考えを書く事によって同じような悩みを抱えている人が1と100の"あいだ"で生きれる手助けになれば嬉しい限りです。

 

 

 

 

ぼくが0と1の"はざま"で生きていたのは「死」を過剰に意識してしまっていたから

ぼくが将来の計画を立てずにイマだけをみて刹那的な生き方をしていたのは、自分がこの先ずっと生きている保証がないことを意識してしまっているからでした。

ぼくは新卒で入った会社を1年経たずに辞めてます。次に入った会社も同じく1年待たずに辞めてます。

給料や労働時間など色々な理由はあったけど、現状に耐えて頑張り続けようという気概を持つことができませんでした。

ただ、色々な理由があるにせよ長期的な視点にたって考えられる人なら「すぐに辞めてしまうことのリスク」も加味して踏ん張って仕事を続けていたかもしれません。

仕事をする上で「まずは3年がんばってみよう」という言葉があります。この言葉が正しいのかはわかりませんが、ある程度続けなければ見えてこないことがあるのは間違いないです。

部活や勉強も続けなければ本当のおもしろさはわかりません。

友人、知人をはじめとする周囲の人間の良い所や、悪い所も付き合いを続けていかなければ見えてきません。

たった数ヶ月程度のなかで全てを理解しようとするのはムリだと思っています。

だからこそ仕事や人間関係、自己研鑽などに「ある程度」の時間が要されることはわかります。

仮に今の自分の置かれている状況が良くなかったとしても、耐えることで、行動を起こすことで、良い方向に進んでいくでしょう。

現実にそうやって前に進んでいる人はいるし、ぼくの友達の多くは耐えて前に進む選択をしています。

でも、ぼくの場合は耐えるのではなく、場所を移す選択をとります。

退職して別の所に就職するのもそうだし、引っ越しを繰り返すのもそうです。

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耐えて耐えてなんとかする。って選択をすることが社会人になってから減りました。

人によっては「逃げてる」という方もいるでしょう。事実そうなのかもしれません。

ただ、ぼくのなかでは「苦しみから逃げるために場所を移す」という考えよりも、強く思ってしまうことがあり、そのために場所を移す選択をとることが多いです。

ぼくが考えてしまうのは

「もし、この状態で死んだらぼくは後悔しないのか?」

です。

たとえば3年同じ所でがんばるというのは、3年後も生きていることが前提での話です。

「もし、1ヶ月後に死んでしまったら?」

「耐え抜いてみせる前に、不慮の事故で死んでしまったら?」

「自分のやりたいと思ったことを行動に移すまえに死んでしまったら?」

このような考えが浮かんできます。

自分がやりたいと思ったことを行動に移すまえに死んでしまったらと考えると恐いのです。

後悔しながら死んでしまうことになる姿を想像すると恐くてしょうがありません。

耐えることにより状況が好転するのには時間がかかることが多いです。その間に死んでしまったらと考えると、耐えるという選択肢をとることができないのです。

0と1の"はざま"で計画をたてずに刹那的に生きてしまうのは「将来の生」よりも「将来の死」を見据えてしまっているからです。

だから、自分の1年後や5年後、10年後が見えません。生きているイマこの瞬間しかみえてこないんです。

危うい考え方です。

 

 

 

 

僕は望んだように生きる

0と1の"はざま"で刹那的に生きるのは危険ですし、自分の死を意識しすぎるのは危うい行為です。

ぼく自身は、なぜこれほどまでに死を意識するようになったかはわかりません。幼稚園児の時分には「なぜ将来死ななくてはならないのか」と恐くて泣いたこともありました。

死について考えることが早かったのが、今の生き方に響いているのかもしれません。

「0と1の"はざま"で生きる人。1と100の"あいだ"で生きる人。」で書いたように0と1の"はざま"で生きるのは短期的なことばかりに目がいき、長期的な視点で考えることができなくなります。

ぼくは、1と100の"あいだ"で生きようと決めました。

0と1の"はざま"で生き続けるのはしんどい。

いつ死ぬかなんてわかりませんからね。

考えたって仕方ないし、自分の死を意識しすぎてイマが見えなくなり計画的な行動はとれないのはよくない。

「自分の死」を見据えるのではなく「自分のなりたい姿」を見据えて生きた方が健康的です。

だから、そうします。

この記事は冒頭で述べたように、ぼくと同じように「自分の死」を考えすぎてしまう人への何かしらの助けになればと思って書きました。

プロセスがわかれば、対策も立てられるし考え方も変えられるきっかけになります。

また、刹那的に生きようとする人の心理を言語化しておくことは、後々誰かの役に立つのじゃないかと思ってます。あくまで、ぼくのケースでしかないけどね。

たぶん。ここまで読んでくれた人のなかには「自分が死ぬなんて考えたって仕方ないでしょ!」と思った方もいるでしょう。

その通りです。

ただ、最後に誤解のないように書きますが、ぼくはネガティブな考えで自分が死ぬことを意識しているわけではありません。

逆説的な言い方ですが死を意識することによって、自分の生を色濃くできると考えています。

問題は「程度」です。

過剰も不足も物事に害を与えます。

ぼくの場合は死に対して過剰だったということです。不足していたらいたで、自分の人生をボーっとして過ごすことに対して苦痛を感じているでしょうし程度の問題なのです。

明日死ぬつもりで生きなさい。
永遠に生きるつもりで学びなさい。
マハトマ・ガンジー


非暴力・不服従を貫きイギリスの支配からインドを独立させたガンジーの言葉を借りるなら1行目だけで、2行目が抜けていた状態でした。

死を意識することの大切さを説く偉人は多いですが、それだけでなく生も意識することが重要です。

生き急いでいる人は、死に目を向けすぎている人だと思います。死だけでなく、生にも目を向けた方がいいですね。自戒の意味で言うけどさ。

まぁ、色々悩むことはあるけど、前に進んでいかないとしょうがない。

色々言ってきたけど、最終的に言いたいのはお互い頑張ろうぜ!ってことに尽きるんだけどね!

 

 

 

 

またね!

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