神田の唄

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新卒入社した会社の給料が8万円だった話

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新卒入社した会社の給料が8万円だった

ぼくが学校を卒業して新卒として働くまでの話。

もはや人生の笑い話として鉄板になっているのだが、ぼくが新卒入社した会社の給料は8万円でした。月給です。月給で8万円。

ここまで低い給料を貰うことはもうないだろう。

 学生時代にアルバイトをしてもらっていた給料の方が普通に高い。それなのに「なぜ?」8万円で働くことを選んだのか。


理由はいくつかあるのだが、1番の理由は日本ではなくインドネシアで働くことになったからだ。

ただ、インドネシアで働くことを考慮しても8万円という数値は圧倒的に少ない。現地で働く日本人は平均でも16万円程はもらっており8万円は平均の半額にしかならない。

最初に会社から提示された給料は16万円だったのだが「海外での就労経験がなく、英語が話せない」という理由で8万円からのスタートになった。

新卒の時分には半額になることよりも海外で働けることを優先したい気持ちがあり、給料が半額になることに対して二つ返事で了承してしまった。

入社する時にはリクルートのようにエージェントを通して話をすすめていたのだが、相手が申し訳なさそうに「16万ではなく、8万でお願いしたいと先方が言ってるんだけどいいかな・・・?」と言っていたことに何の疑問も持たなかった当時の自分の勢いの良さには拍手を送りたい。

二つ返事で了承した時の「え!いいの!?」という相手の発言は今でも忘れていない。もし、今のぼくがエージェントの立場にたって話をしていたら同じリアクションをするだろう。

ちなみに「円、円」と日本の通貨で話しているが、会話の中ではUSDつまりはドルで会話が行われていた。そのため、感覚がイマイチつかめずにいたのもある。

8万ドルが高いのか安いのか、感覚的に判断がつかないことと、インドネシアなら8万ドルあれば暮らしていけるだろうと甘い考えを持っていたのも快諾をすることに拍車をかけた要因だった。

「ドルで会話するなんてカッケー!」

究極的にはこの一念だけで他の全ての要素はどうでもよく思えてしまっていたのだから恐ろしい。

ドルで会話が成されているのだからタイトルは「8万ドル」の表記に変更するべきではないかと思われるかもしれないが、実際に振り込まれる金額は8万円でありドルではなかったので問題はないのである。

 

 

 


学校を卒業してから8万円の会社に新卒入社するまでの経緯

新卒入社するまでの経緯だが、ぼくは元々理学療法士の専門学校の夜間部に通っていました。

昼は生活費を稼ぐためにバイト、夜は勉強の二足の草鞋をはいていたわけです。

卒業の前に理学療法士の国家試験を受けるのだが、国家試験にはめでたく合格。

高齢化社会で需要の高まっているのが医療、看護の世界。

理学療法士として働けば8万円の給料とは無縁の世界で働いていたでしょう。

ただ、学生時代から色んな経営者に接する機会がありビジネスの世界に興味をもったぼくは理学療法士として働く選択肢を放棄してしまっていた。

なにより白衣ではなく、スーツを着て仕事がしたかったぼくは周囲の反対を振り切ってビジネスの世界に身を置くことを選んだ。

「神田。おまえ進路の先生が進路指導室に来いって怒っているぞ。」


この発言を友人経由で3回は聞かされたが、一回も進路指導室には行かなかった。進路指導の先生、すみませんでした。

進路指導の先生の元に出向いても紹介先は基本的に病院しかでてこない。ビジネスの世界に身を置きたかったぼくとしては進路指導室に行くことの必要性が感じられなかったのです。

 

 

 

 

就職先が決まったのは学校を卒業してから。現実はそんなに甘くなかった。

8万ドルもとい8万円の給料がもらえる会社に就職が決定したのは学校を卒業してからでした。

就職するという選択肢そのものがそもそもぼくのアタマには無かった。だから、卒業するまでの間一枚の履歴書を買うことすらしなかった。

「就職せずにネットビジネスで食べていけるようになる。」

言うは易し、行うは難し。当時のぼくがネットビジネスで食べていくだけの生活費を稼ぐことができていたのかというと答えはNoでした。

yahooオクやアフィリエイトにも挑戦していたが、生活していけるだけの稼ぎを得るには到底かないませんでした。

夢や理想を追いかけても、生活費を稼がなければ待っているのはホームレス生活。

やはりお金を稼ぐ手段はなければならない、そのためにはやはり就職をするしかない。卒業後に誰もがわかりきっていたことを考えるという計画性のなさを発揮していました。

ただ、理学療法士として働くことを放棄したのに普通に就職するのではおもしろくない。

どうせだったら違ったことをしてみたい。

そんなことを考えながら日本を代表するコンサルティングの「大前研一」氏の本を読んでいました。

その本のなかに「これからの若者はインドネシアに行け」という言葉を見つけたぼくはインドネシアにいくことを決意。

これがインドネシアに行くことになったきっかけです。単純ですね。

決意してからの行動ははやいので、卒業した3月から4月の間に働ける会社をみつけることに成功。5月からはインドネシアで働きました。

「インドネシア 就職」で出てきたサイトに登録した他、現地で働いている人やFacebook上で活動している人にコンタクトをとりました。

その結果iconicという会社に辿り着き、この会社のエージェントの方のおかげで就職にいたりました。

経済成長が著しいインドネシアで働きたいと考えている方にはオススメです。ぼくの場合は「勢い」だけで決めまたので8万円で働くハメになりましたが、良い案件がたくさんあります。

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現地では統括責任者としてインドネシア人をまとめることに

5月から給料8万円の会社員として働くことになったわけですが、肩書としてはインドネシア支部の責任者。

インドネシアの従業員10名ほどをまとめあげながら働くことに。

ぼくは英語もインドネシア語も話せないのだが、インドネシア人の従業員は優秀で日本語、英語も話せるトリリンガルの方々ばかり。

明らかにぼくよりも優秀な人たちだったのだが、やはり日本人は日本人と仕事をしたがるもので海外の支部は基本的に日本人がトップに据え置かれるのだ。

これは日本特有のことで、日本以外では同じ国籍の人間と働くことを重要視していない。

トップは常に優秀な人間がなるものだという考えに乗っ取っているからだ。そのような理由から日本人が海外に就職したときには新卒だろうと重要なポジションを任されるケースが多い。

これもぼくが海外で働こうと思った理由の1つです。いきなり重要なポジションを任されるのであればチャンスも多いからね。

まぁ、重要なポジションをまかされて月の休日が1日しかないような働き方をしても8万円の給料なのだから、プラスマイナスで考えると何ともいえないですが。。

事前にリサーチした情報では日本人はインドネシアでは良い暮らしができるという情報ばかり出てきていたのです。

移動は常にタクシー。ご飯も好きなだけ食べられる。日本で家を借りるのと同じ料金を出せばプール付きの部屋が借りられる。などなど「スゲー!」と思うような情報が沢山あった。

それは夢のような生活であり煩悩の塊と化していたぼくは、どうしてもインドネシアで働きたいという気持ちが膨れ上がっていました。

ただ、しっかりとリサーチすればわかるのだが、全ての日本人が同じような生活をできるわけではないです。

特にぼくのような英語もインドネシア語も話せない人間が上記のような生活をできるわけがなかったのである。下調べが完全に甘かった。

それでも8万円はあれば十分に生活できてしまうのがインドネシア。正直いって全然稼ぎとしては足りないのだが、生きていくうえでは問題はない。

ただ、現地のインドネシア人と同じ生活水準で生活する場合はであり、8万円では事前にリサーチしていた生活などはできなかった。

16万円あれば違っていたのだろうが3ヶ月に1回あると事前に言われていた給与交渉の話は一回も場を設けてもらえることはなかったので、ずっと8万円のまま過ごすことに。


現地で立ち上げを行ったプロジェクトはyahoo!ニュースにも載るなど一定の成果もあげたけど給与の話を成されることはなく、そのままズルズルと月日が過ぎていくことに。

結局はせっかく新卒入社して入った会社も1年またずに退職することになりました。

現地での生活は日本では経験できないことも多く刺激のある生活をできていたのだが、会社に対する不信感も募っていました。

まぁ、そんなこともあります。

現地についたら、そもそも貯金が4万円しかなく家が借りられなかった話。初めてインドネシアに行くための飛行機に乗り遅れて大変な目にあった話。40度の熱を出しながら働くことになった話。色んな目にあいましたが、一生もののネタ作りができたと考えれば良い経験ができたと思う次第です。

どこに行っても8万円で働いていた話はウケますので、鉄板ネタと化しています。

新卒で海外で働けるかもしれない。そんなチャンスなら握りつぶすつもりで挑戦しよう。

そう思って面接の時にワザワザ自作して持っていった名刺が出てきましたので、懐かしく思いながら書きました。

自作した名刺はこれね。当時QRや顔写真を載せる名刺はあったけど、二つを融合させた名刺はなかったので「持って行けばウケル!」と思って作りました。

 

「表面」

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「裏面」

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いま思うと「この出会いに感謝します」とか「Have a nice day!」とか上から目線が凄い名刺ですね。面白がってくれたから良かったけど。

まぁ、色々と大変な目にあったけど、それ以上にオモシロイことを学べた経験でした。

タイトルだけみると「どんだけブラックな会社だよ!」と思われるかもしれないけど、ぼくにとっては、なんだかんだ良い経験でした。

いまなら、もっと別の形で続けて入れたのではないかと反省する点も多いからね。

まぁ、てなわけで新卒入社した会社の給料が8万円だった話でした!過ぎ去れば大抵のことは笑い話になる。手痛い経験ほど普通に話せるようになったとき、人にとってオモシロイと感じてもらえる内容だってことですね!

 

 

 

 

 

またね!