情報がジャンクフードと化した時代に僕たちはどう生きるのか
ぼくたちが毎日目にする広告の数は3000以上だと言われている。通勤途中のつり革には大量の広告がつるされている。
町を歩けばビルには企業の広告がところ狭しと貼られている。都会は空を見上げると広告だらけなことに気付く。
家の中だろうと通勤途中の電車の中だろうと、会社の中だろうとぼくたちは広告に晒されている。
食事を毎日とるように、ぼくたちは大量の情報を毎日アタマに入れている。
情報はジャンクフードと化している。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000124276.pdf
ひと昔前なら情報を発信するのはテレビ、ラジオ、新聞といったメディアだった。それがインターネットの発達により誰もが情報を発信できるようになった。
情報を受けとるだけだった人間が発信者になり、世界は発信者で溢れた。
PCやスマートフォンを使えば自分の知りたい情報が簡単に手に入る。
SNSは距離に関係なく人とのコミュニケーションを可能にした。
世界で1日に作られるデータ量は2014年の段階で250京バイト。標準画質のビデオ用DVD-Rで換算すると、2時間強の映画 約5億本分に相当する。
毎日5億本の映画が作られるのと同じデータ量が世界に出てくる。
紙の本は日本だけで1日に200冊は作られ、ぼくたちの手に渡ってくる。
データ量はたえまなく増えていき、ぼくたちに訴えかけてくる。
インターネットで、テレビで、ラジオで、新聞紙で、街中の広告で、電車のつり革でぼくたちに訴えかけてくる。
ぼくたちの購買意欲を煽るために、企業はデザインに拘り、文言に拘る。どうすれば見てくれた人を購入に導けるのか。その考えの元に広告は作られ、ぼくたちのアタマに情報として入ってくる。意識しようとしまいと。
得てしてそのような情報はネガティブなものや、決めつける内容が多い。
「添加物の摂取は死期を早める」
「睡眠不足は脳卒中の危険性を高める」
「面接で絶対に言ってはいけないNGワード」
ネガティブな内容の方が人の目を引きやすい。世の中にあふれる情報の70%はネガティブな内容だ。
ネガティブな内容であるほど、人は自分にも危険を及ぼす可能性があるのではないかと興味を示す。
情報の70%がネガティブなら、触れるぼくたちは自然とネガティブになる。ジャンクフードばかり食べている人が体を壊すのと同じ。ぼくたちは情報を脳で喰う。
ネガティブな情報を喰い続けていると、生きているかもわからない遠い将来を不安に思い、過去に行ってきたこと全てが間違っていたのではないかと涙を流す。
面接で絶対に言ってはいけないワードなど法律で決まっているわけでもないのに、決めつけた内容を話し型に当てはめようとする。
情報はジャンクフードと化している。
ジャンクフードを食べるのを辞められないように、ネガティブで固定概念的な内容の情報をぼくたちは繰り返し求めてしまう。
いつのまにか人生の勝組、負組のラインが引かれ、正しい生き方、間違った生き方をアタマのなかに作り出す。
でも、ホントはアタマのなかに作られた正しい生き方、間違った生き方なんてのは溢れる情報によって植え付けられたものでしかない。
何が正しくて、何が間違っているかは自分が考え抜いて、多くの行動を起こし、経験を積んだ先にしか見えてこない。
10年や20年で学んだことで、あと何十年は生きるであろう自分の未来を絶望視するのはおかしいし、過去の人生を間違ったものとして考えてしまうのはあまりにも貧しい生き方でしかない。
自分の考えたままに、自分が思ったままに行動すればよいし、間違ったと気づいたら引き返せば良いだけ。
世の中に溢れジャンクフードと化した情報だけ摂取すると身体が壊れる。
自分のアタマで考え、自分の心に従って行動したい、そして楽しく幸せに生きたい。
とまぁ、そんなことを思いましたねー。
望むように生きて 輝く未来を
平原綾香 JUPITER
こんな生き方がしたいね。
またね!