あ、釣り方とかいいので、とりあえず魚ください
言葉の起源
「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣りを教えれば一生食べていける」どこかで聞いたことのある言葉だと思います。
お腹の減っている人に魚を与えると喜ばれるが、それでは魚を食べ終わった後に同じ目にあってしまう。魚の釣り方を教えてあげれば一生お腹がすくことはなくなる
という意味のようです。誰の言葉なのか調べた所、中国の哲学者である老子を起源とする説が有力みたいです。
他にもユダヤ、東南アジア、アフリカ起源など諸説あるらしいのですが、まぁそれはよいとして、魚を与えるよりも釣り方を教えることの良し悪しに対して着目してみましょう。
老子の考えは正しいのか
釣り方を教えることで、その人は一生食うことに困らない。あげるのは簡単だが、それでは本当にその人のことを考えていることにはならない。
いやー。深い。良い言葉だと思います。
起源が不明確にも関わらず友達や職場の人たちが同じ言葉を発するあたり、多くの方が耳にされた言葉なのではないかと思います。
僕も以前にはこの言葉を聞いてなるほどなと納得していました。
でも、年を重ねれば考え方も変わるもので、今はこの考え方には懐疑的な見方をしてしまいます。
目の前にお腹のすいた人がいたらどうするのか
実際に自分が釣り人だったと仮定して、お腹のすかせた人が助けを求めてきたとしたら、僕たちは魚の釣り方を教えるでしょうか。
お腹が空いて人に助けを求めるって、結構な緊急事態ですよ。
餓えに苦しんでいる人に対してのんびりと魚の釣り方をレクチャーする。餓えに苦しんでいる人に食べ物をあげずに釣り方を教えるって想像したら結構ひどい絵面じゃないですか?
もしかすると、釣り方を教えている間に空腹で倒れる可能性もありますし、栄養失調になるかもしれません。
空腹を満たすためには、食べるしかないのです。今、目の前で困っているのはお腹をすかした人なのですからお腹を満たしてあげることをすべきじゃないでしょうか。
(釣り方のレクチャーですか?先に魚をくれませんか?)
アンパンマンは先にパンの作り方を教えているか
アンパンマンはお腹を空かせている町の人たちがいれば迷わずに自分の顔をちぎって空腹を満たしてあげようとします。
なんという自己犠牲の精神。凄い。
もしですよ。アンパンマンがお腹を空かせて困っている町の人を見つけたときに、パンをあげずにパン工場に連れていってジャムおじさんと一緒にパンの作り方を学ぶようにしむけたら、どう感じるでしょうか。
「いや。パンあげてよ。」
きっと視聴者の多くが、そう思うでしょう。更にいうなら困っている人を見つけた時にパンをあげずに、毎回作り方のレクチャーをしていたらアンパンマンのアイデンティティも崩れるわけです。
ただのパトロールをする人であり、自分の顔を分け与えるという彼の特性も失われます。
であれば、アンパンマンでなくても良いわけですよね。
・・・。
ちょっと何言っているのかわからなくなってきましたが、まずは困っていることを解決してあげようということです。
書いてて思いましたが、前にもアンパンマンを例えに出して記事書いてました。
なんなんでしょうね。この熱いアンパンマン押しは。「人生で大切なことは全部アンパンマンから学んだ」なんてタイトルの自己啓発本でも書けそうです。。
魚をあげて釣り方を教えてあげればいいじゃない
まずは魚をあげるべきです。お腹を満たしてあげて、その後に釣りの仕方を教えてあげれば良いのです。
お腹を空かせた状態で釣り方を教えても集中力に欠けるだろうし、魚を釣り上げる間に倒れてしまう危険性もありますからね。
釣り方を教えてあげるのは大切ですが、それは後で良いのです。
魚だけ欲しい人もいる
最後にお伝えしたいのは、魚だけ欲しい人は世の中には大勢いるということです。
僕たちは寿司を食べようと思うことはあっても、一から握り方を覚えようとは思いません。
僕たちは机が欲しいとは思っても、一から机を作る方法を学ぼうとは思いません。
僕たちはパソコンが欲しいと思っても、一からパソコンのつくり方を覚えようとは思いません。
各々がお金を払えば釣り方を教えてもらわなくても魚を手に入れることができる。
そんな世の中を望んでできたのが現代社会ではないのでしょうか。
なんの話だこれ・・・。
またね!