世間なんて身近な5人で構成された世界でしかない
世間体を気にするな
世間体を気にして動けない人っていますよね。ぼくのことです。新しいことを始める時や、周りと違った道を歩もうとするときに世間体を気にしてしまいますよねー。
やったほうが良いと思いながら周りの目を気にして動けない状態ってしんどいですよね。
動けない理由のほとんどは世間体を気にしているからで、失敗した自分の姿を周りにみられるのが嫌だから、周りから浮いてしまうのが嫌だからって場合がほとんどなんです。
でも、その状態って凄くもったいないですよね。本当はやりたいことがあるのにできないもどかしさを感じながら生きるのってしんどい。
実はぼくたちが気にしている世間ってのは本当に狭い。だから世間なんてものは気にせずに行動するべきだよね。
世間は身近な5人で構成された世界でしかない
世間という言葉をgoogleで調べると次の通りにでてきます
1.世の中。社会。 2.自分の活動・交際の範囲
見ての通り世間なんて自分の活動・交際の範囲でつくられた世界でしかないわけで、それは身の回りの5人程度で作られた世界でしかないのです。
世間ってなんだってよく考えると身近な人間の顔が浮かんできませんか?
例えば就活に失敗してフリーターになったり、転職に失敗してニートになった時のことを想像すると両親や親戚、友人、知人にどう思われるのかを気にしてしまう人は多いです。
逆にいえば両親、友人、知人の数名程度しか考えのなかに浮かんこないわけで、浮かんできた人たちが世間なんですよね。
世間は狭いっていうけど、それは本当のことで実はすごく身近なにんげんで構成された世界でしかないんです。
世間体を気にせずに行動しよう
やりたいことがあるなら世間体なんて気にせずにやるべきなんですよね。結果がどうあれやってみた方が良いです。
世間とは、
いったい、何の事でしょう。
人間の複数でしょうか。
どこに、その世間というものの
実体があるのでしょう。
…
世間というのは、君じゃないか。
それは世間がゆるさない。
世間じゃない。
あなたが、ゆるさないのでしょう?そんな事をすると、
世間からひどいめに逢うぞ。
世間じゃない。
あなたでしょう?いまに世間から葬られる。
世間じゃない。
葬るむるのは、あなたでしょう?(人間失格、太宰治)
人間は世間ばかり気にしているが、世間なんてものは本当にはないんじゃないか。
それは自分がかってにアタマのなかで作りだした周りの声だったりする。
やりたいことをストップさせてしまうのは本当は周りの声なんかじゃなくて、自分自身の声。
世間なんてなくて、けっきょくは自分自身のアタマのなかで行動を制限している。
とまぁ、そんな感じの太宰先生のお言葉です。
世間なんてありもしないものに心をとらわれて動けなくなってしまうのはもったいないよね。
やりたいことやって楽しく好きに暮らしたいものです。ブログがその一歩になれば幸いなわけですよ僕は。
またね!